<訃報>ポール・ニューマンさん死去

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9月27日23時25分配信 毎日新聞

 【ロサンゼルス吉富裕倫】AP通信によると、映画「明日に向って撃て!」や「スティング」などで知られる米映画界を代表する俳優の一人、ポール・ニューマンさんが26日、がんのため死去した。83歳だった。

 オハイオ州スポーツ用品店を営む裕福な家庭に生まれ、母親の勧めで児童演劇団に入団した。第二次世界大戦中には海軍に入隊し、除隊後、大学を経て俳優養成所で演技を学んだ。1953年にブロードウェーの舞台でデビューし、55年の「銀の盃(さかずき)」で映画デビュー。一時テレビに活動の場を移すが、実在のボクサーを演じた56年の「傷だらけの栄光」の迫真の演技で注目された。男らしくセクシーな正統派の二枚目であると同時に、反抗心を秘めた危険な香りも漂わせ、複雑な感情を巧みに表現する演技派としても重用された。

 「ハスラー」(61年)、「明日に向って撃て!」(69年)、「スティング」(73年)、「タワーリング・インフェルノ」(74年)など次々と話題作に出演しスターの地位を固めた。68年には「レーチェル・レーチェル」を監督し、アカデミー賞候補になった。「スクープ・悪意の不在」(81年)、「評決」(82年)など社会派作品でも重厚な演技を見せた。何度もアカデミー賞候補になりながら受賞には縁がなかったが、86年「ハスラー2」で主演男優賞を受賞した。

 一方で、ベトナム戦争反対や反核運動に参加するなど、社会的活動にも積極的に取り組んだ。自動車のレーサーとしても活躍し、79年のル・マン24時間耐久レースで2位に入賞。82年には食品販売会社を設立し、ドレッシングなどを発売して成功を収めた。私生活では2度目の結婚で、女優のジョアン・ウッドワードさんとおしどり夫婦として知られた。長男のスコットさんも俳優だったが、78年、麻薬中毒で死去したことから麻薬反対活動に資金を提供。事業の利益を寄付するなど、慈善活動にも熱心だった。日本の障害児のためにと毎日新聞社会事業団を通じ、93、94、97年に寄付したことがある。

 最近では脇役で渋い存在感を見せ、05年にテレビドラマ「追憶の街エンパイア・フォールズ」でエミー賞ゴールデン・グローブ賞を受賞。晩年まで活躍したが、07年5月、「満足できるレベルの役者でいられなくなった」と俳優引退を表明した。今年6月、がんで闘病中と報じられていた。

 ★ニューマンさんの主な出演作

55年 銀の盃(デビュー作)

56年 傷だらけの栄光

58年 左ききの拳銃

61年 ハスラー

62年 ハッド


73年 スティング


82年 評決

86年 ハスラー

(アカデミー主演男優賞)


 ◇精神が自由で柔軟

 映画評論家、佐藤忠男さんの話 直情径行型の青年役から出発したが、上手に年輪を重ね、食えない中年男を演じられる柄の大きさを身につけた。精神が自由で柔軟だったのだろう。反戦反核など社会活動にも熱心だったといい、その幅の広さ、底の深さは、いかにもアメリカ的だったと言える。得難い俳優を失った。

 ◇陰ある演技見せた

 評論家、川本三郎さんの話 ゲーリー・クーパークラーク・ゲーブルら戦前からの男優が強く明るい英雄を演じたのに対して、戦後に現れたニューマンさんらの世代は「負け犬」的なヒーロー像を体現した。中でも「ハッド」で見せた彼の陰影ある演技は忘れがたい。彼の存在が60年代後半のニューシネマの方向を示した。理想的な俳優人生を送ったと思う。

個人の意見

 つい先日、スカパーで「ハスラー2」を観たばかりの訃報。
こういうのも虫の知らせというのでしょうか・・・。

 自分が、Paul Newman主演作品で一番好きなものは「暴力脱獄(原題「Cool Hand Luke」作品を理解していない邦題が付いている)」です。この映画に感化されて、囚人の着ていた青いシャツを何着も持っていました。もちろん「栓抜き」を、アクセサリーのように首からさげて。

 Paul Newman氏のビール好きは有名らしく、体型維持のためにジョギングをしていることから「ビールのために走っている」といっていたとか。ビールの銘柄にこだわっていたが、あることがきっかけでお気に入りだった製品をやめて、ライバル会社の製品へ変更したとか・・・。

 自分も学生時代、Paul Newmanの飲んでいたビールを真似して飲んだっけなあ。
生卵は入れなかったですけれど。

 ニューマン・スカイラインには乗れなかったけれど、色々意識しましたね。

 ありがとう、Paul Newman。

 ご冥福をお祈り申し上げます。