500は箆鮒(へらぶな)


1/5(土) 0:00配信


 FCA ジャパンの主要車種の1つ、「500(チンクエチェント)」。日本での販売が始まってから10年が経過しながらも、人気モデルとして販売が続けられている。これはマーケティング戦略のもとさまざまな限定車が登場し、常に話題を提供することで新鮮味を持ち続けていることが理由として挙げられるが、それ以上にクルマとしての魅力があるに違いない。


 本稿では旧500(便宜上、1957年~1975年まで作られた500を旧500、2007年にデビューした現行モデルを新500と記す)とそのオーナーを招いて、新旧500の魅力について迫ってみた。

■大人2人と無理をすれば子供が乗れるミニマムカー

 まずは本題に入る前に旧500の歴史を紐解いてみよう。第二次世界大戦後、復興を目指すヨーロッパ諸国の庶民の足になったのは、オートバイやライトカーと呼ばれるオートバイをベースにしたような簡素なボディを纏ったクルマたちだった。そこから発展したのがサイクルカー、例えばBMWイセッタ」(本来はイソ社のイセッタだが)やメッサーシュミットなどであった。そういった市場に対応するために、フィアットはその時点で製造していた「600」よりも小さいクルマを開発した。それが1957年に登場した旧500だ。

 479ccの2気筒空冷エンジンをリアに搭載し、最高出力は13PS、最高速は88km/hと発表された。デザインはこの時から生産終了まで大きく変わることなく続いていくが、唯一変わったことといえばドアの開き方であろう。旧500の初期モデルは後ろヒンジの前開きだったのだ。この当時から安全性に問題がある(走行中に開いてしまうと一気に全開になってしまう)と言われてはいたのだが、フィアットは後席(といえるほどのものではないが)へのアプローチを考えた結果、この方式を採用した。余談だが、現代のロールス・ロイスの2ドアモデル「レイス」なども前開き方式を採用しているが、これは女性が美しく乗り降りできるベストな開き方がこの方式だとして選ばれたのである。

 さて、デビューした旧500に対して市場の反応は実はあまりよくなかったという。最大の要因はそのパワーにあった。流石に強豪となるライトカーあたりと大差ない、あるいは下まわってしまう出力でありながら、それ以上に高い価格では、ほかの魅力があろうとも厳しいものがある。そこでフィアットはこの問題を解消するために、発売後数か月でエンジンを15PSにパワーアップさせるとともに、「ノルマーレ」という上級グレードを追加。これまでのものを「エコノミカ」(こちらもエンジンは強化された)として発売。これにより販売は好調に転じた。経済的で故障が少なく、大人2名と無理をすれば子供が乗ることができ、荷物も積めるというサイクルカーになかった魅力に人々は飛びついたのである。

 その後、旧500は庶民の足として、また、初めて買うクルマとして、はたまたアバルトなどのチューナーがチューンアップしてレースに出場するベースのクルマとして大活躍。イタリア中を走りまわるようになった。1975年にその生涯を閉じるまで、合計で340万台余りが生産されるに至ったのだ。

 そして新500は2007年、旧500デビュー50周年のタイミングで発売された。そのデザインはまさに旧500のモチーフを見事に捉えており、好評を博している。日本でも2008年から導入され、現在に至るまでヒットを続けているロングセラーモデルといえるだろう。

 今回の企画で連れ出した新500は、ツインエアと呼ばれる直列2気筒875ccターボエンジンを搭載するモデルで、現在の新500の中でもっとも個性的、かつ、旧500のイメージを受け継いでいるクルマではないかと想像し選んでみた。

■500は箆鮒(へらぶな)

 今回、旧500オーナーとしてお話を伺ったのは和泉孝弥さん。1957年式の、しかもごく初期の500(13PS仕様)のオーナーだ。以前から積極的にクラシックカーイベントに出場しており、一時は「ディノ246GT」や「スタンゲリーニ」なども所有していた。現在も「ランチア アッピアベルリーナ」でイベントに出場するほか、複数のイタリア車をレストア中だ。普段の足は「アバルト 695エディツィオーネ・マセラティ」で、今回登場する旧500は数年前に入手。ご近所を走る用の足として、またご家族と一緒のイベントの出場車として活躍している。まさに和泉さんはイタリア車に通じ、また、フィアットの魅力を知り尽くした生粋のエンスージアストと言えるだろう。そんな彼が、なぜあえて500、しかもごく初期でパワーがもっともないクルマを選んだのだろうか。

「そもそも旧500はずっと欲しかったんですよ。なぜって、やはり旧500は古いクルマを何台か持つことができるのであれば、そこに1台は加えていきたいと思うからです。色々なクルマに乗っていながら、旧500に乗っていないというのは邪道。釣りでいうところの“箆鮒(へらぶな)”みたいなもので、それに乗ったことがないのでは話にならないと思ったのです」と話す。確かに旧500には自動車に必要なものが、最低限ではあるがすべて揃っている。その上で持つ楽しさ、乗る楽しさを味わえるという魅力が感じられる。さらに初期のクルマほど設計思想がよく見えてくるものだ。

 実際に走らせても和泉さんは、「とてもよいクルマですよ。13PSでも結構走るし、何よりもまわりから意地悪されないのがいいですよね(笑)。あ、遅くてもしょうがないかなって。慣れちゃえば高速道路の合流でもそれほど気にせず走れます」と話す。

 少しだけ旧500をドライブさせてもらったが、きちんと交通の流れを考えて、先を読みながらシフト操作を行なえば、十分にその流れをリードできる。これはまさに知的好奇心を刺激する“遊び”みたいなものだ。それが上手くいけばとてもスムーズに、まるで独楽鼠のように小気味よく走りまわることができるし、もし失敗すれば、クルマから“お前、下手だな”と言われるかのごとく、ギヤが鳴ったり、失速したりと手痛いしっぺ返しがある。だからこそ、いかにスムーズに、かつ速く走らせるかに熱中してしまうのだ。和泉さんもそこは同感だとして、「小さいエンジンで必死になって走っている感じは魅力的ですよね。なぜか人は小さいクルマの方が速く走ろうとするので、それが面白い」と本当に楽しそうに話してくれた。

 和泉さんのご家族にもこの旧500は好評な様子だ。一度、宇都宮方面のヒストリックカーイベントでお会いしたのだが、家族4人、小さな旧500に乗り込んでワイワイとおしゃべりをしながらイベントを楽しんでいた姿が印象的だった。和泉さんによると、お嬢さんが“この旧500は私のクルマ、絶対に売らないで”と言っているそうだから、和泉家からこの旧500がいなくなることはないだろう。

 そんな和泉さんに新500ツインエアの印象を聞いたところ、「趣味性の高いクルマですよね。新500はコンパクトな実用車なのですが、ツインエアはエンジンに癖もあります。具体的には下のトルクがなくてスカスカで、エンジンをまわして“ナンボ”のようなもの。そして、振動や雑音も多いですよね」と印象を語るとともに、「1.2リッターの普通のエンジンもあるのに、なぜこのツインエアを選ぶのかというと、そういったことも含めてオモチャとして楽しみたいからではないでしょうか」と分析する。また、「旧500の色々なところを継承したクルマとしての魅力が高いと思います。例えばエンジンの特性。小さいエンジンをまわして、スムーズにシフトできるように工夫しながら、一生懸命速く走らせるというところは旧500と同じです」。そういったおもちゃ感覚は新旧500で通じるところがあるという。

■意外とよく走る旧500

 ここで少しだけ両車に乗せてもらったので、簡単に印象をまとめておこう。

 まずは旧500から。前開きのドアを開けて室内に乗り込むと、想像していた以上に広々とした空間に驚いてしまう。四隅のすべてに手が届くものの、なぜか広く感じさせるのは当時のデザイナーの知恵の結晶だ。エンジンをかけようと、インパネ中央にあるキーを回して……、うんともすんとも言わない。あっと思い立ってシートの間にあるサイドブレーキの右側のレバーを引っ張り上げると、“クシュクシュクシュ”というスターターの音とともにすぐにエンジンが目覚めた。

 小さなペダルのクラッチを床まで踏み込み、一度2速をかすめながら1速にシフト。そうすることで2速のシンクロを借りることができて、ノンシンクロの1速に音もなくシフトすることができるのだ。サイドブレーキを下ろしてゆっくりとクラッチを緩めると、意外にもそのままスルスルと走り始めた。

 そこからアクセルを踏み込んでいっても大した加速はしない。そこである程度のところで2速へシフトアップ。もちろんクルマを労わってダブルクラッチニュートラルで一度クラッチをつなぎ、再度踏み込むこと。そうすることでエンジンとトランスミッションの回転が合わせやすくなる)を使うことは忘れてはいけない。そうすればとてもスムーズに、かつ、しっかりとした手ごたえを感じながらシフトアップできる。

 そのまま3速、4速へとシフトアップしていくと、するとどうだ、十分に現代の交通の流れに乗って、場合によってはリードすることも可能なのだ。確かに1速と2速の途中までは明らかに遅く、特に信号の先頭に並んだときは少々緊張させられ、自然と前かがみの姿勢になってしまったものだが、そこさえクリアすれば余裕(まではいかないか)のドライブが楽しめる。

 ステアリングも若干遊びが大きいものの、ダイレクトで安心感のあるもの。軽すぎず重すぎず、適度なフィーリングを伴って、ドライバーの意思を路面に伝えてくれる。ヒストリックカーに乗って一番気にしなければいけないのはブレーキだ。当然、サーボなど備わっていないうえに、ドラムブレーキなので場合によってはかなり効きが甘いこともある。そのため、いつも以上に車間距離を取ることが多いのだが、少なくとも和泉さんの旧500に関してはそういったことはなく、確かにペダルは重いものの、きちんと踏めば踏んだだけ減速Gが立ち上がる優秀なものだった。

 そして乗り心地だが、サスペンションもしなやかに動くので、今時のファットな大径タイヤを履いたクルマよりもはるかに乗り心地がよいのには驚かされた。

 それにしても、60年前のクルマをここまで仕上げるのにはかなり手間がかかったことだろう。和泉さんによると、しばらく日本の某所に眠っていたものを半年ほどかけて復活させたもので、それ以前はイタリアに住んでおり、そこで念入りなレストアがなされていたようだ。

■クルマとの対話が大切な新500

 ここから新500に乗り換えると、ステアリングをはじめとした操作類のすべてが軽いという印象だ。旧500よりも大きいとはいえ、5ナンバーサイズなので狭い路地でもスイスイと入っていけるのは大きな魅力だ。そういったときに操作類が軽いと、より軽快な感じをドライバーに伝えてくれる。

 実際に走らせると、和泉さんの言っていた“おもちゃ感覚”という意味がよく分かってくる。それは旧500と同じようにクルマと対話をしながら、きちんと考えてドライビングをしなければいけないということだ。ATモード付5速シーケンシャル(デュアロジック)は、普通のATと同じようにアクセルを踏んでいれば勝手にシフトアップしてくれるが、シフトアップのたびに一瞬失速感を味わう、つまり、MTのシフトアップの時と同じなので、そのままアクセルを踏んでいる限りはギクシャクした感覚が付きまとう。つまり、スムーズに走らせるにはクルマ任せにしてはいけないのだ。

 そこでマニュアルモードに入れて、自らシフトアップさせてみると、シフトアップ時にアクセルさえ抜いてタイミングを合わせれば、上手にマニュアルシフトを操作したような変速ショックもないスムーズな走りが体感できる。また、十分なパワーは備えているが、それでもタイミングを合わせてシフトアップとダウンを行なえば、意外にもスポーティな走りも楽しめるという発見もあった。乗り心地はばね下が重く、ちょっとバタついた感じが付きまとうので、そのあたりは旧500のほうが好ましく感じられるが、このスポーティな走りができるということに免じて許したくなった。

■夢が詰まったクルマであること

 両車を乗り終え、ふたたび和泉さんと話をしていたとき、彼は旧500について「ようやく戦争から立ち直って庶民がクルマを買おうとした時に、どうにか支払えるぎりぎりの金額で登場したクルマ、それが旧500です。だから人々の夢が詰まっているクルマなんです」と言った。そして、「僕はこのクルマで、家族と一緒に乗りながらその夢の体験をしているんですよ」と述べ、まさに家族との夢と思い出が詰まっていることを語る。

 そんな視点で新500を見てみると、同じようにこのクルマで大切な人たちと出かけて夢と思い出を紡ぎたくなってきた。どちらの500も一生懸命クルマと対話しながらきちんと走らせる(それを和泉さんはおもちゃ感覚といっている)ことが大切で、そういった体験を大切な人たちと分かち合い、笑い合ながら乗ることへの楽しみにつながっている。そして、このクルマを持つことで何ができるかという“夢”が詰まったクルマ、それこそが旧500から受け継いだ新500の最大の魅力であり、長く販売が続けられている理由でもあるのだろう。

Car Watch内田俊一,Photo:高橋 学
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個人の意見

>■500は箆鮒(へらぶな)
>釣りでいうところの“箆鮒(へらぶな)”みたいなもので、それに乗ったことがないのでは話にならないと思ったのです」と話す。

 そういう表現もあるのか~。