元モンキーズのピーター・トーク氏が死去 77歳 日本でもテレビ番組で大人気
2/22(金) 11:54配信
60年代にテレビ番組を通して世界的な人気を誇っていた「モンキーズ」のメンバーでベースを担当していたピーター・トーク氏が死去。77歳だった。同氏の息子、イバン・イアノリ氏がAP通信に語ったところによると、2009年以来、希少がんである「腺様嚢胞がん(悪性腫瘍の一種)」と闘病中だった。
モンキーズはオーディションでメンバーを募り、1966年9月にレコード・デビュー。ビートルズを意識した4人編成のアイドル系バンドで、テレビのコメディー・ドラマ「ザ・モンキーズ・ショー」と平行する形で音楽活動を行った。
番組は日本でも1967年から69年にかけてオンエアされ、メンバーのファーストネームでもある「ミッキー(ドレンツ=ドラム)、ピーター、マイク(ネスミス=ギター)、デイビー(ジョーンズ=ボーカル、故人)」はそのまま役柄として使われて人気を博した。
テレビ用に編成された感のあるバンドながら、日本でも忌野清志郎らがカバーした「デイドリーム・ビリーバー」や、「アイム・ア・ビリーバー」と「恋の終列車」はビルボード誌の1位になったほど。1971年で最初の活動を終えるまで、計7曲がトップ10にチャート・インした。
4人のメンバーの中で最もミュージシャン・タイプだったのがベース、ギター、バンジョー、キーボードを操ることができた「ピーター」ことトーク氏。ロサンゼルスの小さなクラブで演奏していたときの“相棒”は、のちにフォーク・ロック界のスーパーグループとなる「クロスビー、スティルス、ナッシュ&ヤング(CSN&Y)のスティーブン・スティルス(74)で、最初にモンキーズのメンバーにスカウトされたのもスティルス氏だった。しかし同氏は歯並びが悪いことを理由にモンキーズ入りを拒絶。代わりに推薦したのがトーク氏だったと伝えられている。
モンキーズでドラムを担当したミッキー・ドレンツ氏(73)氏は「モンキーズの仲間を失って心が引き裂かれた」とツイート。2012年にはデイビー・ジョーンズ氏が66歳でこの世を去っており、残ったメンバーはビートルズ同様に「2人」となった。