紙媒体は生き残れるのか? ベテラン編集者「たられば」さんが語ったメディアの課題と未来


10/26(木) 11:35配信



【&30】

 フォロワー数10万を超えるツイッターアカウント「たられば」さんに、ツイッター有名人の現実を教えてもらうこの企画。取材中、「たられば」さんからは、ご自身の話だけでなく、メディア業界へのさまざまな思いが聞かれた。「ツイッターの有名アカウント」という顔のほかに、「出版社で働くベテラン編集者」という一面も持つ「たられば」さんは、メディアの今と未来をどう捉えているのだろうか。取材で語られた“業界話”をお届けする。

【写真】取材中のたらればさん、業界裏話を語る
「フォロワー数=リーチ数」という誤解

――フォロワー数10万というと、もはや一つのメディアといえる規模です。本業とは別に、「たられば」さんとしてのお仕事も積極的にされているのでしょうか。

 ありがたい話なのですけれども、ほとんどお断りしています。本当に申し訳ない。これまでご依頼をいただいたのは、SNSの利用に関する講演や原稿の執筆、記事へのコメント、商品宣伝などですが、お受けしたことがあるのは講演をちょこっとと、原稿2本くらいですね。

――お仕事の数としてはあまり多くないと。

 今は本業が面白いですから。それにツイッター上で、お金をもらっての商品宣伝などはそもそもやっていませんが、それ以外の依頼に関しても、意外とハードルが高いこともありまして……。まず「仕事」として受けるには上司に許可をとる必要がありますが、「あのう、“たられば”宛てに原稿の依頼がありまして」って申請するの、けっこうしんどいんですよね。「どんな依頼だ」、「えーと、源氏物語についてちょっと」、「源氏物語」、「は、はい」ってシュールすぎるでしょう。何者なんだお前はと。まあ犬なんですけども。

 それに、専門知識が期待される分野に関して、原稿料をいただいて執筆するのはやはり抵抗があります。素人なりに話せることや書けることがあるかもしれませんけれど、そこはやっぱりその領域のプロの方の経験や知識に敬意を払うべきだと思います。趣味で「ここが好きなんだよね」とつぶやくならいいんでしょうけど、お金をもらってうかうかと踏み込んでいい領域じゃないよなと。だからご依頼を受ける時には、「それでもまあそこそこ以上には語れる話」か、もしくは謝礼を断れる話ですね。

――依頼主は「たられば」さんの発信力や拡散力に期待をしていた部分もありそうですが。

 そうでしょうね。この時代、その狙いは間違ってはいないと思います。「ツイッター」というメディアの特徴は、言葉に「気持ち」が乗っかりやすいところです。なので「それを好きな人」が「好きなもの」を拡散するのには向いていると思います。

――“言葉に「気持ち」が乗っかりやすい”というのは?

 これは比較的最近気づいたんですけど、「情報」と「感情」ってもっとくっきり切り分けられていると思っていたんです。でもツイッターというツールをじっくり使ってみて、「あ、全然切り分けられないな」と痛感しました。むしろ「感情」が「情報」のエンジンになっていて、それに載って拡散していく構図がある。

 私は「ネット外の人格にネットのアカウント人格が引っ張られる」と考えていますが、それと近いことが、フォローしている人とされている人の間でもひっきりなしに起こるんです。一番わかりやすいのは喜怒哀楽。強い感情ですね。この情報を喜べばいいのか、怒ればいいのか、悲しめばいいのか、楽しめばいいのか。そういう「これを読んで、どういう感情を受け取ればいいのかハッキリしている情報」がツイッター上にはびゅんびゅん流通している。

――それはSNS全般の特徴なのでしょうか。

 わかりません。「メディア」というもの全般の特徴かもしれませんし、実際はもっと単純で、「朱に交われば赤くなる」ということがデジタルとアナログの間でも起こっている、という話なのかもしれません。

 そもそもスマホって顔に近いじゃないですか。物理的に距離が近い。それも夜中、寝る前に真っ暗な部屋の布団にくるまってプライベートな話を読んだり書いたりするわけです。こんな距離感、家族だってめったにありません。恋人同士くらいでしょう。そりゃあ影響を受け合いますよね。心に染み込みやすいわけです。

――それだけ強い影響を与えることが可能ならば、やはりフォロワー数の大きいアカウントほど宣伝効果も高そうに思えますが。

 うーん、どうでしょうか。今はツイッターフェイスブック、LINE、インスタグラム……と、さまざまなSNSがある中で、そのうちの一つだけを利用しているユーザーも多く、ネット上にはたくさんの“たこつぼ”が存在しているんだな、というのはよく感じます。全然「ワールドワイド」じゃない。

 だからこそヘビーユーザーたちの密度が濃くて影響し合うわけで、私のアカウントだって、どれだけフォロワーが多くても「総合メディア」というより専門誌に近いものだと思っています。いわば「釣り雑誌」みたいなものです。特定の層の読者に向けた情報ががっつり載っていて、それがそれぞれの読者の「感情」に響いていると。

 で、話は戻ってクライアントが拡散力や宣伝力を期待する……という話ですが、そこはやっぱり「釣り雑誌に告知を頼むなら、釣りざおや釣り船でしょ」と思うわけです。たとえばそこで「オーガニックのパン屋を開いたので宣伝してほしい!」と頼まれても、たいした宣伝効果は生まれないと思うんですよ。だいいち釣り好きの読者やパンの専門誌に失礼ですし。

――発信元と読者のマッチングがうまくいっていないと、いくらインフルエンサーに頼ったところで効果は薄いと。

 そうです。ツイッターは無料のツールですから、ちゃんとマッチング出来てないと、たとえ目に入っても情報は染みこんでいきません。むしろ反発を招くことも多々あります。だからこそ「量的なリーチ」より「質的なリーチ」が大事になるんですね。たとえば「たられば」のツイートが常に10万人に届いているわけではありません。それはフォロワーの反応を見れば明白です。

 かつて広告業界は、「交通量が10万人の場所に看板を置けば全員にリーチできます」というスタンスで広告を販売していましたが、実際にその広告を見ているのは数人、数十人程度だったわけですよね。まあ「計る手段」が交通量しかなかったから当然なんですけど、近年はそういった「届く人」の現実がネットで可視化されて、いろいろなところで「きしみ」が出ている、という状況なんだと思っています。どういう属性の人が、どういう気持ちを抱いて「それ」を見ているのか、と。見ている人のデータがハッキリしたら、よりいっそう「感情」の重要度が増す、というのは面白い話ですけどね。


今の時代、大手メディアは人材の“草刈り場”に?

――編集者としての「たられば」さんにうかがいます。今はネット全盛の時代ですが、本業で紙媒体とWEB媒体の両方を手がけてこられた立場として、「読み物コンテンツ」の未来をどう考えておられますか。

 ハード面の話でいえば、これまでは私自身、書籍や雑誌といった紙媒体を読むのが好きな人と、WEB記事を中心にモニターでコンテンツを消費する人に、くっきり分かれていくと思っていました。自動車が出てきて馬車移動や籠(かご)移動がほぼ絶滅したように、紙媒体は瀕死(ひんし)の状態になるだろうなあと。ただ、実際にはそこまで極端な状況にはなっておらず、この先も、それぞれのスタイルが溶け合って、融合していくように思います。いわば移動手段としての電車とタクシーのすみ分けのようなもので、紙とWEB、それぞれの特長を生かした形で共存が図られていくのではないでしょうか。

――それぞれのメディアを充実させるべく、新聞業界でもさまざまな模索が続いています。

 そこにはある種の期待がありまして。というのも、私は「新聞」というメディア形態を、かつての日本社会が生み出した傑作だと思っています。高い入社倍率をくぐり抜けた人材が、専門的な職業訓練を受けて各地に配置され常駐し、毎日毎日すさまじい情報量を精度の高いキュレーションにかけたのち、ザッピングのために計算されつくしたレイアウトと最高峰の校正精度を保ちつつ紙面へと落とし込まれたそのコンテンツを、わずかな購読料で自宅まで届けてくれる。駅で買ったって朝刊一部、百数十円ですよ。ついでに読み終わったら梱包(こんぽう)材にも便利(笑)。こんな情報発信・受信形態は、よっぽど社会に余裕がないと実現できません。

 ただ近年、時代の変化に伴う購買数の下落で、新聞社の力が弱まりつつあります。これは新聞社自身、新興メディアに対して後手後手に回ったツケの問題が大きいと思うのですが、一方でそれとは別に、インターネットには訓練を受けていないまま加工された情報、「感情だけ」で作られた情報、もっと率直にいえば粗悪な情報の蔓延(まんえん)が危惧されてきました。それはもちろん仕方のない面もあるのですが、いくら社会が望んだ結果とはいえ、失うものが大きすぎる気がしてもいます。そんななか、ようやく新聞にも購買数の下げ止まりのラインが見えてきましたよね。となれば、今と全く同じ体制は難しいにしても、一定のクオリティーを保った媒体を維持できる可能性が高い。これはコンテンツ産業全体にとって、少し明るい未来が見えたことだと思うんです。

――そのクオリティー維持に必要なコストについては、紙で賄えない分をデジタル事業で補てんするといった動きが活発化しています。

 それは出版社も似たような状況で、なるべく早く収益構造を変えないといけません。一番のポイントは広告ですよね。SNSはユーザー同士だけでなく、広告主とユーザーの距離感も近い。それゆえクレームも届きやすく、出版社や新聞社などコンテンツの送り手にとってはいい面もありますが、都合の悪い面も大きい。したがって、現状の広告モデル以外の新しい収益構造を構築しない限り、メディア側は今の売り上げを維持できず、おのずとコンテンツの質の確保も難しくなっていくんじゃないかと思っています。

――今の給料を維持できなければ、優秀な人材が流失するだろうと。

 まず前提として、全国紙の新聞社や総合出版社社員の、今までの給料は高すぎたんじゃないかなと思っています。まあどんな職業と比べて、という話ではあると思うのですが。少なくとも長らく独占産業だった領域に、「Webメディア」という情報流通における強力なライバル産業が登場したのだから、競争原理が働いて相場価格はある程度下がっていくでしょう。でも下がりすぎてはまずい。というのも、情報産業が持つ一番の財産は真っ当な記者や編集者を訓練する“方法論”なんです。そこを維持するのはお金も時間もかかります。「貧すれば鈍す」では困るし、教育や訓練に時間がかかるから流動性が高すぎてもまずい。

 これは業界内の人間だけでなく、読者の皆さんにとっても悪い影響を及ぼすと思っています。優秀な人材を招いて底上げを図る必要もありますしね。だからこそ、新興メディアにとっては「訓練済み」の既存メディアの人材は魅力的に映るわけで、実際、一部の大手メディアは人材の“草刈り場”になっていますよね。

――確かに近年、勢いのあるメディアに優秀な人材がどんどん集まっている印象です。

 そりゃあ、私がトップになっても言いますよ。「盛り返したければ、ヤフーニュースの人材、引っ張ってこい! あそこに今一番イキのいいのが集まってるぞ!」って(笑)。それだけ人材が貴重な時代です。この流れが今後一層加速していくことは間違いないでしょうね。……って、偉そうに言ってすみません。ただ思うのは、優秀でありさえすれば、所属する会社、所属するメディアに関わらず、手にしたスキルに応じていろんな媒体から声がかかる、というのは、いいことだと思うのです。もっと言うと、うっかりしていると、若くて優秀な人たちにどんどん仕事を奪われていく、そういう環境のほうが業界全体にとって健全だと思うわけです。

(文・&編集部 下元 陽、撮影・同 久土地 亮)


個人の意見

>いわば「釣り雑誌」みたいなものです。特定の層の読者に向けた情報ががっつり載っていて、それがそれぞれの読者の「感情」に響いていると。
>趣味で「ここが好きなんだよね」とつぶやくならいいんでしょうけど、お金をもらってうかうかと踏み込んでいい領域じゃないよなと。

 自分の釣行記は10分で書ける。
でも、それは仕事じゃない。