“鬼軍曹”逝く
山本さんは1963年、日本プロレスに入門。星野勘太郎とのタッグ「ヤマハブラザーズ」として日本だけでなく全米マットでも活躍し、1972年にアントニオ猪木と共に新日本プロレスを旗揚げした。現役引退後は解説者、レフェリーとしても活躍した。
個人の意見
名解説者でもありましたが、自分のなかでは前田選手に関わるエピソードが忘れられません。
何しろ、他の選手が嫌がった、前田日明選手のデビュー戦相手でしたものね。
その前田選手は「キャデラック(山本の愛車)の音が聞こえるだけで震えが止まらなかった」と恐怖するほどシゴかれていたらしいですが、でもその前田選手がスクワットで挫けそうになると「竹刀ごっつぁんです」と逆に要求して、山本小鉄氏に竹刀で叩いてもらって苦しさを乗り越えたという逸話が残っています。おそらく、そこには厳しくも師弟愛を感じる、信頼関係があったのでしょう。
その前田選手は「キャデラック(山本の愛車)の音が聞こえるだけで震えが止まらなかった」と恐怖するほどシゴかれていたらしいですが、でもその前田選手がスクワットで挫けそうになると「竹刀ごっつぁんです」と逆に要求して、山本小鉄氏に竹刀で叩いてもらって苦しさを乗り越えたという逸話が残っています。おそらく、そこには厳しくも師弟愛を感じる、信頼関係があったのでしょう。
日本魂、ご冥福をお祈り申し上げます。