国の伝統的工芸品「紀州へら竿」指定までの道のり 「歴史の証明」32年で悲願


毎日新聞 4月14日(日)13時37分配信

 国の伝統的工芸品に先月指定された橋本市の「紀州へら竿(ざお)」。指定までの道のりは険しく、竿師らで作る「紀州製竿組合」が3回にわたって挑戦し、「歴史の証明」を積み重ねて来た結果の32年かけての悲願達成だった。田中和仁組合長は「(指定の窓口となる)経済産業省の担当者の指摘は細かく厳しかったが、多くの人の協力があったからこそ」と感謝を込めた。【上鶴弘志】

 紀州へら竿は真竹、高野竹、矢竹を組み合わせて作る。芸術的な美と釣り竿としての機能性を備え、伝統的な竹竿としては全国シェアの90%を占める。
 指定への最初の挑戦は1981年。紀州へら竿は、橋本市清水出身の「師光」と「源竿師」が昭和初期に大阪の「竿五郎」に技術を学んで持ち帰ったのが始まり。同組合は、代々の竿師らの師弟関係などを示す系統図を作成した。しかし、国の担当者からは、指定要件の1項目「一定の地域で産地形成がなされていること」を理由に、「発祥が大阪だと、2府県に分かれることになる」と指摘され、挫折した。
 2001年の2回目の挑戦で、組合はこの要件をクリアするため、古くから橋本市内にあった「のべ竿」業者を起源と設定してみたが、国から「1本竿」ののべ竿から「継ぎ竿」の紀州へら竿への技術継承が説明できないと門前払い。
 10年からの3回目の挑戦では、「大阪の竿師も高野竹を使っていた。大阪と和歌山は一体」との視点をアピールし、一つのハードルを乗り越えられた。その上で、担当者に「何が足りないかをアドバイスを」と食い下がり、地元小中学生らによる紀州へら竿作り体験学習の写真も見せた。組合員らが長年指導している実績を示したのだ。担当者は「社会貢献している団体にはぜひ、指定を受けてほしい」と態度を変えた。
 組合はこの3回目の取り組みで、紀州へら竿の元となった「へら竿」のルーツを竿五郎から「初代竿正」へと、2代さかのぼらせた。組合には初代竿正作とされる竿が伝わっている。検証し、チヌ釣り用とされていた初代竿正の竿にはヘラブナ釣りの機能もあることを証明した。ところが国の担当者は「初代竿正は実在したのか」と質問してきた。
 組合は、初代竿正の痕跡を求め、孫の女性(87)を探し出した。しかし、初代竿正は約90年前に亡くなっているため戸籍の除籍簿の保存期間を過ぎており、本人の戸籍での存在証明は無理。そこで、女性に父親の戸籍謄本を取ってもらい、その記載事項から、実在を証明できたという。
 田中組合長は「担当者の注文を『文句を付けられている』と受け取れば挫折する。指定させたいからだと信じ、根気強く取り組んだ」と振り返っていた。
4月14日朝刊

個人の意見

経済産業省の担当者の指摘は細かく厳しかった

 報われましたね~。