井伏鱒二の書簡144通を展示 「釣り弟子」京都の医師寄贈
産経新聞 9月15日(木)8時47分配信
「山椒魚」「黒い雨」などの小説で知られる広島県福山市出身の作家、井伏鱒二(1898~1993年)が趣味の釣りを通じて知り合った京都市在住の医師にあてた書簡144通が福山市に寄贈された。40年近くにわたる、井伏文学の一面を明らかにする貴重な資料。16日から同市丸之内のふくやま文学館で公開される。
書簡は京都市で小児科医院を開業している加藤静允(きよのぶ)さん(75)に送ったもので、昭和29年4月から井伏が亡くなった平成5年の年賀状までが残っている。
釣り好きだった加藤さんが中学時代、釣り人の号をつけてほしいと井伏に手紙を出し、「細石」という号をもらったことがきっかけ。以来、2人の交遊が始まり書簡をやりとりした。
手紙103通、はがき41通で、ほとんどが釣りに関する内容。昭和39年9月の手紙では、俳人の飯田龍太と釣りを楽しんだことなど8~9月の釣果を詳しく記述。また、同47年9月には、アユの友釣りに関して絵を添えて解説している。同63年10月には「どうも白内障のためうまく書けません。こんな筈ではなかった」と病気を嘆いている。
一昨年秋、加藤さんが同文学館を訪ねた際、書簡の一部を寄託した。「先生の文学を研究する人のために資料として保存してもらえる所へ残すべきだ」として、このほど一括して同館に寄贈したという。
同館の皿海(さらがい)達哉館長は「ユーモアと心のこもった言葉がつづられ、井伏の文学的表現がうかがえる。家族のことなどいろんな発見があり、井伏文学の貴重な資料だ」と話している。
「山椒魚」「黒い雨」などの小説で知られる福山市出身の作家、井伏鱒二(1898~1993年)が、趣味の釣りを通じて知り合った京都市在住の医師にあてた書簡144通が保管されていることがわかり、福山市に寄贈された。40年近くにわたる、井伏文学の一面を明らかにする貴重な資料。16日から同市丸之内のふくやま文学館で公開される。
書簡は京都市で小児科医院を開業している加藤静允(きよのぶ)さん(75)に送ったもので、昭和29年4月から井伏が亡くなった平成5年の年賀状までが残っている。
釣り好きだった加藤さんが中学時代、釣り人の号をつけてほしいと井伏に手紙を出し、「細石」という号をもらったことがきっかけ。以来、2人の交遊が始まり書簡をやりとりした。
手紙103通、はがき41通で、ほとんどが釣りに関する内容。昭和39年9月の手紙では、俳人の飯田龍太と釣りを楽しんだことなど8~9月の釣果を詳しく記述。また、同47年9月には、アユの友釣りに関して絵を添えて解説している。同63年10月には「どうも白内障のためうまく書けません。こんな筈ではなかった」と病気を嘆いている。
一昨年秋、加藤さんが同文学館を訪ねた際、書簡の一部を寄託した。「先生の文学を研究する人のために資料として保存してもらえる所へ残すべきだ」として、このほど一括して同館に寄贈したという。
同館の皿海(さらがい)達哉館長は「ユーモアと心のこもった言葉が綴られ、井伏の文学的表現がうかがえる。家族のことなどいろんな発見があり、井伏文学の貴重な資料だ」と話している。
個人の意見
>釣り好きだった加藤さんが中学時代、釣り人の号をつけてほしいと井伏に手紙を出し、「細石」という号をもらったことがきっかけ。
古き良き時代だなァ~文豪に号を付けていただくなんて。
そういうノリで、老水=老衰=、雑水=雑炊=、工業廃水、一般大舟=いっぱんたいしゅう=、悪舟=あくしゅう=、死刑舟=しけいしゅう=、舟羅舟舟舟=しゅらしゅしゅしゅ。金毘羅船々 追風(おいて)に帆かけて シュラシュシュシュ~ってやつ=とかにされちゃったら、ちょっと名乗れないものな~。