リッチー・ブラックモア、メタリカら、ロニー・ジェイムス・ディオを追悼


5月18日9時33分配信 BARKS


ロニー・ジェイムス・ディオの死を偲び、メタル界から多くの追悼メッセージが寄せられている。


レインボーのギタリスト、リッチー・ブラックモアは、「ロニーはユニークで素晴らしい声を持っていた。ロックンロールの世界は彼の死を深い悲しみをもって惜しむことになるだろう」とのコメントを発表。

ブラック・サバスで活動を共にしたトニー・アイオミ(G)は、「昨日、5月16日朝、俺の大事な、大事な友人ロニー・ジェイムス・ディオが亡くなった。本当にショックだ。彼が行っちまったなんて信じられない。ロニーはまれに見るいい奴だった。俺たち、一緒に素晴らしい時間を過ごしたよ」「彼の横でプレイできたことを本当に誇りに思ってる。彼の音楽は永遠に生き続けるだろう」とその死を偲んだ。

ディオの脱退後、レインボーに加入したグラハム・ボネットは「いい友達であり、レインボーでプレイすることに懐疑的だったとき道筋を描いてくれたことを感謝したい」「ありがとう、ロン!」「ロニーは1人だけだ」との声明を発表。

また、11歳のときディオのパフォーマンスを見て衝撃を受けたというメタリカのラーズ・ウルリッヒ(Dr)は、ディオへのオープン・レターという形でこう追悼している。「1975年、ディープ・パープルのオープニングでエルフにいたあなたを初めて見たとき、そのボーカル、存在感、自信に圧倒された」「ロニー、あなたの声は俺に衝撃と力を与えた。あなたの音楽は俺にひらめきと影響を与えた。あなたの優しさは俺に感動を与えた。ありがとう」

キッスは4人連名で「パワフルで才能豊かなヴォーカルを持っていただけでなく、彼は本物の紳士だった。俺たちやまわりの人間につねに思いやりと友情を持ち接してくれた。寂しくなる」との声明を発表している。

また、UKのメタル・フェスティヴァル<Download>は、ディオを哀悼し、2010年の2ndステージを“Ronnie James Dio Stage”と名付けると発表した。

Ako Suzuki, London


2010年5月 17日 19時20分(J-CASTニュース

 レインボー、ブラックサバスなどのバンドでボーカルを務めた米ロック歌手、ロニー・ジェイムス・ディオさんが米国時間 2010年5月16日、67歳で亡くなった。ディオさんは、生前日本で「ヘヴィメタル界の北島三郎」と言われ、絶大な人気を誇っていた。ネットには、ディオさんを追悼する書き込みがたくさん寄せられている。

 ディオさんの死は妻によって、公式サイト上で発表された。死因は明らかにされていないが、09年に胃がんを患っていると公表されていた。

■「青春時代のカリスマでした」

 ディオさんは1942年米国ニューハンプシャー州生まれ。70年代後半からレインボーやブラックサバスなどの有名バンドに参加したことで頭角を現し、80年代以降は自身のヘヴィメタルバンド「ディオ」を率いて活動。ヨーロッパや日本で絶大な人気を獲得した。特に日本では、ディオさんのコブシの効いた歌い方と、圧倒的な存在感から「メタル界の北島三郎」と言われ、30年以上に渡って親しまれてきた。

 日本で訃報が報じられた17日朝から、ツイッター2ちゃんねるにはディオさんを追悼する書き込みが続々寄せられている。

「僕の青春時代のカリスマでした。謹んで合掌します」「上手いボーカリストは数多かれど、ロニーに代わるボーカリストは今後出てこないだろうな」「大ショック。CD聞きかえして追悼します」

 中には「嘘でしょ!」というものも。何度も来日し、60歳を超えてからも若いころと全く変わらないパフォーマンスを見せていただけに、信じられないという人が多いようだ。

■演歌のように歌い上げるというのが特徴

 個人的にも親しくしていたという、ヘヴィメタル専門誌『BURRN!』編集長・広瀬和生さんは、

「私もロニーがきっかけでハードロックにのめり込みました。ロニーは特別な存在です。パワーがあるだけでなく、演歌のようにメロディーを歌い上げるというのが特徴で、日本のハードロックファンにとって『ロニーが最高のハードロックボーカリスト』といっても異論はないでしょう。レインボーで70年代に来日したときには、札幌公演でファンが圧死したこともありました。ヘヴィメタル界では年齢とともに衰えるミュージシャンが多い中、ロニーの声は衰えていませんでした。後5年は歌えると思っていただけに残念でなりません。がんであることは09年に公表されていましたが、ロニーのことですから、闘病してよくなっていると思っていました。もう肉親が亡くなったかのように悲しいです」

と話している。


2010/05/17 mtvjapan

へヴィメタル史上最高のシンガーの1人であり、50年に渡って活動してきたロックのベテラン、ロニー・ジェームズ・ディオが、16日早朝に死去したことが明らかになった。長年のマネージャーでもあるウェンディ夫人が公式サイトで発表した。

レインボー、ブラック・サバス、ヘヴン・アンド・ヘル、そして自身のバンド、ディオなど、数々のグループで活躍してきたディオは、昨年に胃がんと闘っていることを発表していた。享年67。

「今日、私の心は失意に満ちています。ロニーが午前7時45分に死去しました」とウェンディ夫人のメッセージには書かれていた。「彼が穏やかにこの世を去る前に、たくさんの友人や家族が直接別れを告げることができました」。

「ロニーは自分がどれだけ皆さんに愛されていたかをわかっていました。皆さんが私たちに与えてくれた愛情や応援について、非常に感謝しています。この辛い別れに向き合うべく、どうか数日間は私たちをそっとしておいてください。彼が皆さんのことを愛していたこと、そして彼の音楽が永遠に生き続けるということを、どうかわかってあげてください」。

米ニュー・ハンプシャーポーツマスにて誕生したディオ(本名:ロナルド・ジェームズ・パダヴォーナ)は、1958年にロニー・アンド・ザ・レッドキャップスとして、初めてのレコードをリリースした。ニューヨークのマフィア、ジョニー・ディオにインスパイアされたロニー・ジェームズ・ディオという芸名は、そのシングルから1年後に名乗り始めたという。

パワフルな声と破滅的なリリック。エルフ、レインボー、ブラック・サバス、そしてもちろんディオなど、キャリアを通じて、複数の象徴的なバンドでフロントマンを務めた。2009年には、オジー・オズボーン脱退後(その後、再加入)の1980年代前半にディオがフロントマンを務めていた当時のブラック・サバスのラインアップをフィーチャーしたアルバム『The Devil You Know』を発表した。

ロック・シーンにおいて、最も特徴的な声の持ち主だったディオは、偽物の龍を殺すなどのステージでの演出や、中世風のテーマ、唯一無二の存在感などにより、ジャック・ブラックデイヴ・グロールなどを含む、たくさんのメタル・ファンやミュージシャンからの賞賛を集めた。キルスウィッチ・エンゲージはライブで頻繁にディオの「Holy Diver」をカヴァーしており、彼へのオマージュとして、ミュージックビデオを発表した。

ディオはまた、「デヴィル・ホーン」と呼ばれるハンドサインを広めた存在としても知られる。メタルアーティストからポップスター、アスリートからプロレスラーまで、現在では幅広い人々に使われているこのサインについて、イタリア人の祖母から教わったと明かしていた。

2009年11月、ウェンディ夫人はロニーが胃がんを宣告されたことを発表。その後、複数回に渡る放射線治療を含む、数種類の治療を受けた。ヘヴン・アンド・ヘルは今月上旬、ディオの体調を理由に予定されていたヨーロッパ・ツアーの中止を発表した。

先月にはロサンゼルスで開催された「リヴォルヴァー・ゴールデン・ゴッズ・アワード」に出席。最優秀ボーカリスト賞を受賞した。アリス・イン・チェインズのメンバーがディオに賞を授与すると、オーディエンスからは「ディオ!ディオ!ディオ!ディオ!」と歓声があがっていた。■
MTV News

個人の意見

 HR/HM界が、悲しみに包まれています。