「日経デザイン」2011年12月号の転載“スノーピーク”
nikkei TRENDYnet 3月6日(水)11時13分配信
この記事は、「日経デザイン」2011年12月号からの転載です。記事の内容は雑誌掲載時のものです。 経営資源としてのブランドをいかに作り、育てるか──。ブランディング指導で数々の成功を収めている若き経営者とデザイナー、中川淳(中川政七商店・十三代)と西澤明洋(エイトブランディングデザイン代表)のNNコンビが、キラリと光るブランドを持つ企業を訪ね、その成功の“しくみ(秘密)”を探る。今回は、アウトドア用品の「スノーピーク」を訪ねた。
中川 スノーピークブランドは当初、登山用品から始まったと聞いています。
山井 創業者である父がロッククライミングが好きだったので、登山用品の販売を始めたんです。当時の年商が6億円程度で、登山用品はそのうち5000万円ぐらいでした。メーンは釣り具です。3年程前に他社に営業譲渡しましたが。
中川 事業をアウトドア用品にシフトさせようと思ったのは、どういうきっかけですか。
山井 私はもともとアウトドアがすごく好きな人間なんです。キャンプというのは本当はぜいたくで豊かな時間を過ごすものなのに、当時のキャンプ用品は粗悪なものが多くて…。自分が欲しいものを作ってくれる会社がなかったので、スノーピークをそういうブランドメーカーにすればいいじゃないかと思ったのが動機です。
中川 市場性を緻密に計算してというわけではなくて、作りたいモノを作る、ということだったんですね。
山井 私が入社した1986年の時点では、別に私がいなくても会社自体は回っていたわけです。既存の事業に私が入るよりは、新しい事業を手掛けた方がいいだろうという判断はありました。
25億円以上あった年商が4割減に
中川 そこから5年で年商25億円。すごい勢いですね。
山井 そうですね。オートキャンプ用品を発売したのが88年なんですが、年率で30%ずつ伸びていきました。社内の仕組み自体は追いついていかず、生産するのが精一杯という状況ではありましたが…。
しかし、マーケット自体は95~96年が1回目のピークでした。25億円以上あった売り上げが、2000年には14億5000万円まで落ちたんです。およそ4割減。
今から振り返れば、当たり前ですよ。ブームを支えた団塊世代が子供の成長とともにファミリーキャンプ市場から抜けていき、その影響で市場が小さくなってしまったんです。
西澤 ブランドの重要性を真剣に考えたのは、売り上げの急減を受けて、ということですか。
山井 本当の意味でブランドというものを考えたのは、その時だったと思います。うちは「自らもユーザーである」という思想で製品の使い勝手や品質にこだわってきまして、永久保証を付けるなど、モノ作りでは妥協しませんでした。しかし本当の意味で消費者、ユーザーを見ていなかったのかもしれません。
そのことに気付かされたのが98年のことです。「SNOW PEAK WAY」というキャンプイベントを始めた年です。今でも覚えています。
当時、業界の人たちは「山井さん、もうキャンプ市場は終わったよ」と言っていました。当社の営業担当者が営業に行くと、「スノーピークさんはキャンプ用品の会社でしょう。もうキャンプは終わったから来なくていいよ」などと言われて…。私たちも、本当にこの仕事が社会的に存在理由があるんだろうかと、そんなことまで考えました。
そのとき1人の社員が、「お客さんの顔を見ることから始めましょうや」と言ってくれたんですよ。じゃ、キャンプのイベントをやろうという話になりまして、本栖湖で第1回のSNOW PEAK WAYを開きました。今では毎年、延べ7000~8000人が集まってくれるイベントですが、初回はわずか30組。しかしスノーピークの熱狂的な愛好者が集まってくれて、うちの幹部社員全員と1つの焚き火を囲みながらキャンプを楽しんだんです。
集まったユーザー全員が言ったことが2つありました。1つは、「スノーピークの製品は高い」ということです。私たちはそれまで、スノーピークの商品は確かに高いが、顧客は高いなりに価値を認めて買ってくれているんだと思っていました。しかし、実際に買っている人たちから面と向かって「やはり高い」と言われたんです。ものすごいインパクトがありました。
もう1つは、「買えない」。「自分の生活圏にスノーピークの取扱店は数店あるが、どこも品ぞろえが悪くて欲しいものを買えない」と。
「高い」「買えない」──。これは売り上げが落ちて当然だと。なぜ売り上げが急落したのかがよく分かりました。
約1000店あった販売店を約250店に絞り込んだ
西澤 それで、どう対応したんですか。
山井 問屋との取引をやめました。そして約1000店あった販売店を約250店に絞り込んだんです。要は「このエリアではおたく1軒にするから、うちの商品を全部置いてください」ということですね。品ぞろえが良い店が250店舗。顧客が車で30分から1時間走れば、カタログに載っているすべての製品を買える販売網になったんです。
この改革のおかげで、実売価格8万円のテントが5万9800円になりました。流通マージンがなくなったからです。
中川 問屋との取引をやめて自前で流通させるというのは、大変なことですよね。売り上げが落ちたりはしなかったんですか。
山井 いいえ。2000年に新しい仕組みに変えたんですが、そこから2011年までずっと増収増益です。
西澤 問屋との取引をやめるとき、一足飛びに「直営店」という選択肢は選ばなかった。
山井 そのオプションもあったんですが、当時は地域1番店というのはまだきちんと対面接客ができて、うちの製品と他社の製品のどこが違うかを説明しながら販売してくれていたので、その段階では直営店は考えなかったですね。直営1号店は2003年になってからです。
うちのような製品は、売り手が自社製品のユーザーでないとなかなか売りにくいんですよ。自分の経験を基に、「私も使ってますけど、ここがこうです」と言えないと…。しかし、販売店は経営効率を考えて人員を減らしたりしていましたから、店でスタッフを探しても見つからないとか、いても顧客の方が商品をよく知っているとか、あってはならない事態が増えてきたんです。
良いモノを正しく説明する重要性
中川 自分たちが製品に込めた思いを顧客接点で伝えられなくなってきた、と。
山井 良いモノを作るというのは仕事のうちの半分ぐらい。良いモノを作ったとしても、顧客に「ここが良いですよ」と説明できないといけない。その力が低下するままにしておいては、ブランドマネジメントはできませんよね。
中川 良いモノを作ることと、説明すること、山井さんの中では半々ぐらいのイメージなんですか。
山井 そうですね。もちろん、前者があってこその後者です。どっちが大事かと言うと「良いモノを作る」ということですが、やはり説明もしっかりできないとブランドとしては駄目だと思います。
デザインに一貫性がある
西澤 デザインの部署はあるんですか。
大企業のデザイナーに比べると、かなり広い領域を担当しています。ちょっと前までは1つの製品を1人の担当者が企画から金型を作ってラインに乗せるまでを一気通貫でやっていましたから。
西澤 私が感心したのは、1人ひとり別々にモノづくりを担当しているような感じなのに、全体のプロダクトアイデンティティーがきちんと存在して、デザインに一貫性があるとことです。
山井 ディレクションを私がやっているからだと思います。それと、うちの製品のユーザーが社員として入ってくることが多いので。
山井 そうです。だから細かく説明しなくても、ちょっとうちらしくないモノが出てくると、「ああ、これはスノーピークっぽくないね」と言って退場させられますよ。私が言わなくても誰かが必ず指摘します。
個人の意見
>この記事は、「日経デザイン」2011年12月号からの転載です
そのときも読んだ気がしますが、当方もあらためて取り上げました。